2012/10/29

とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。 その七 特別付録編

とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。 その七  特別付録編
 1852  嘉永五年 9月2日  平井八王子神社  無銘  奈良県 宇陀市 菟田野区 平井

「とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里」
高石ともやの受験生ブルースではございませんが、結論でございます~
結局、源流なんて見つかりませんでしたね、
佐吉には源流なんぞ不必要でございます。
佐吉の前に佐吉無し、佐吉の後に佐吉無し。

上の写真、佐吉の狛犬第一号の平井八王子神社にて、
なんとなく、やっつけ仕事のような、
隣のポチをモデルに彫りました~
そんな感じしませんか。

平井大師山 平井八十八ケ所霊場の製作クソ忙しいのに、
しがらみで狛犬を彫らなくなってしまって・・・
だから、名前はいれんよ・・・たぶん。

この時点では佐吉、狛犬に興味無し!

とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。 その七  特別付録編
1853  嘉永六年 11月  丹生川上神社中社  石工 照信花押  奈良県 吉野郡 東吉野村

時は嘉永六年 黒船来航、ペリー艦隊を率い江戸湾口に入った頃、
ようやく目覚めましたか、佐吉狛犬に海岸!失礼いたしました、ペコリン。
佐吉狛犬に開眼す!
佐吉には御机神社は無用でしょ、州浜だけ戴きましたが・・・しっかりしてるわ。

折からの狛犬の奉納ブームで、
佐吉の元に注文がワンサカ、ワンサカ来るもんだから、
よっしゃ!彫ったるか、石仏に較べてうるさい決まり事も少ないし。
隣にはポチも居るし、たぶん。

その後の佐吉の狛犬大躍進は御覧のとおり、
写実的でもあり、浪速狛犬のエッセンスをベースに、
佐吉独特の絶妙なる曲面処理の乱舞を御覧アレ。

しかしながら、佐吉はその影で平井大師山の平井八十八ケ所霊場に続いての、
石仏侵攻作戦第二弾を隠密に進行していたのでございます。

とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。その七 特別付録編
三重県 亀山市 関   観音山   西国三十三観音霊場

関ロッジ前の説明看板には、嘉永七年(1854)から安政四年(1857)の3年かけて、
もうひとつの情報では文久二年(1862)から2年かけて、
今も謎に包まれる 観音山の西国三十三観音霊場がその第二弾でございます。

とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。その七 特別付録編

職人の佐吉からアーティストの佐吉へ変身~
そのバックボーンには大新屋時代の恩師である上山孝之進成績氏から学んだ事が、
ここに花開いたのでございましょう。

佐吉は幼少の頃から上山孝之進成績氏から学ぶこと、考えること、
そして、創造することの大切さを学んだのでありませんでしょうか。

とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。その七 特別付録編

しかし何故に、うるさい決まり事がある石仏に出戻りをしたのか、
今も昔も石仏は仏像(木仏)に較べると、
仏像=大リーグ
石仏=日本プロ野球
そんな図式が我慢ならぬ~とは、
ぜんぜん思わなくって・・・

彫りたいように彫った、それだけでありませんか。
その為には関西アチコチの寺社で膨大のスケッチに、
仏の勉学にも励んだのでしょう。

とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。その七 特別付録編



とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。その七 特別付録編



とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。その七 特別付録編



とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。その七 特別付録編



とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。その七 特別付録編



とある秋に、佐吉の源流を訪ねて三千里。その七 特別付録編

佐吉の彫る仏は仏でなく人である
佐吉は仏は彫らない
佐吉は学び、考え、創造した


丹波の佐吉 | Comments(12)
Comment
No title
私が佐吉の石仏を初めて見たのは観音山です。
石仏を見ようとして行ったのではなく、たまたま観音山に登って知ったのですが、非常に驚きました。
こんな世界があったのかと。とても、人間業とは思えなかったです。
その次は平井大師山です。これは佐吉の石仏を見るのが目的でした。

ところで、高船の地名の由来ですが、
下記URLは、私が撮影した船石の画像と、お寺の方から頂いた資料のコピーです。
交野市の磐船神社と比べると、かなり小ぶりです―笑。

画像
http://www.eonet.ne.jp/~oka-chan/121030takafune/funaishi.jpg
資料
http://www.eonet.ne.jp/~oka-chan/121030takafune/takafune_yurai.jpg
観音山にて
私の場合は平井大師山から、そして観音山にて、
これは・・・なんと・・・のパターンです。
狛犬の佐吉ファンには、是非、観音山を見てもらいたいですね。

可愛らしい石船ですね、この辺り一帯が磐船だらけですね、いや日本中でしょうか?
なぜにあなたは佐吉さま
小説でも後書きから読む私が、順序正しく読破した「佐吉の源流を訪ねて」とても勉強になりました。結論は…そうきたの、でもだからこそ作風に変化があって佳きかな。
「若者は3日で変わるよ、今だけを見んといてや」と言った、たぶん。

昔々木彫仏を習っていた頃、とにかく彫刻刀を研ぎなさいと教わり、小さな仏頭から20cm余りの観音様立像まで来たものの…手が痛い(>_<)…挫折を知りました。

なのに「石」。電動工具じゃなくて。のみ…。超人の所以でしょうか。
しかも命があり、今にも動きそうにリアルな作品に魅了されます。

石匠として金字塔を打ち立てた佐吉さんが不動明王を彫ったのは病を得て、自分の余命を知ったからという説もありますね。

後世にファンがいる限り、佐吉さまは不滅です~*☆..
(byミスターN)
夢子 様

朝晩、めっきり冷え込んできましが、お風邪など召されてませんか。

例の猿股の件、もとい蛙股でした、今日明日と、クリーンアップに参ります。

ここだけの話ですが、佐吉の作品、私には狛犬より、石仏の方が、数倍凄いと思います。
早起き友・okaさま
サンキュー・アイムファイン・ユートゥー?(基礎英語)

菖蒲池はブルジョア特区となりましたねー。
9月の大和文華館無料開放日には ちゃっかり見学して、絵画のような蛙股池を暫く遠望していました。

ここだけの話ですが(笑)私はこの星にきて、まだ菖蒲池北南とも歩いたことがありません(-_-)遊園地が無くなりおしゃれな散策路も出来たらしい。

タケチャンマンさまに歩くコースとなるかどうか聞いてみよっと。

とある秋の土曜日に
夢子さんへ

私もあとがきから読む派ですね、オチがわかっても平気です。
問題は中身だ!
読み取った言語を自分ながらの脳内映像化しながら読み進みます。

観音様立像の出来はどうでしたか、
心を研ぎ澄ましたオバケのQ太郎に化けませんでしたか、
お後がよろしい様で~

生駒から奈良を目指して歩いた時に、菖蒲池の北辺りから南下を試みたんですが、
起伏のある、道もコンガリでしたから、
いつものパターンでソコに道があるから歩き進みましたら、
佐保方面に踊り出てしまいました。

桜で歩いた中山町の川沿いがナイスでしたね、よくもまあ田んぼが残ったな~と。

>菖蒲池はブルジョア特区となりましたねー。

御約束道理のブランド学園にブランド元東京都都知事、
日本人はブランド大好きですからね。
その跡に日本人は何を見ることになるんでしょうか?

okaさんへ

猿股、失礼、ペコリンコ、蛙股クリーンアップ作戦がんばってください。
なお、腰には注意してください、
お互いもう若く無いどころか、物忘れが頻発の今日この頃でございますから。
わたしだけか~

>ここだけの話ですが、佐吉の作品、私には狛犬より、石仏の方が、数倍凄いと思います。

それをイッチャアおしまいよ!
けっこう、けだらけ、観音山は佐吉だらけ。

狛犬は職人魂で。
石仏は佐吉魂で彫ったかなと感じてるしだいでございます、たぶん。

佐吉は毎晩、明日をイメージしてノミを研ぎ澄ましていたのでありましょう。
夢子様 タケチャンさん

今は無き、あやめ池遊園地、奈良市で生まれ育った自分には、思い出が沢山詰まっています。
小学校の遠足(園内には小さな動物園がありました)、高校の時のデイト、家族で訪れ、イチョウの木の下で拾った銀杏、ちなみに、この銀杏、見事に芽を出して、自宅の庭木になっています。大きくなって処分に困っていますが。お寺の庭木とか、校庭にあるならともかく。

今、菖蒲池駅の北側は見違えるようになりましたね。ブルジョワジーの街に生まれ変わった。奈良ではお馴染みのN銀行支店、いつの間にか北側に引越してました。

一方、南側は相変わらずで、狭い道路に緑色のペンキを塗りたくって、にわか歩道になっています。北側のお洒落な散策路とはエライ違いだ。

蛙股池に注ぐ河川はなく、全て雨水だそうです。絵画のような蛙股池を見ると、家庭でトイレに流す水に雨水を使えたら、と思います―笑。
思い出を辿って
あやめ池遊園地は記念樹に姿を変えたのですね。

高校のデイト相手は今も貴方の傍らに?ごちそうさまぁ。

蛙股池は雨水…「雨が空から降れば、思い出は地面に染み込む♪」…じゃなくて~蒸散したとしても溜まりっぱなし(>_<)?と検索してみました。

日本書紀によると推古天皇十五年菅原池として造られた日本最古のダム。

中央の綾女橋対岸には菖蒲池神社。
祭神は市杵島姫命(織姫)菅原道真、野見宿弥。

名前の由来は日本建築の建具「蛙股」に似ているからとも。

放水は大池川へ。尼ヶ辻北町で秋篠川に合流する。納得しました。

ウオーキングしては美しい景観をアップする方もあり、コナラの雑木林もあるらしい。大和文華館も中野美術館も情緒があり、タケチャンマンいわくの「恋する中高年」デイトにはよろしくてよ(*^_^*)b
恋する中高年
お二人のお話を拝聴してると、
自然とあやめ池と蛙股池の歴史が学べるわけなんですね。
日本最古のダムとな、
ダムサイトで恋する中高年は見つめ合うわけですな。
二人には言葉はいらない、
年金手帳を見せ合うだけでOK~たぶん~
疋田絞り
蛙股池は浅瀬がなく、岸辺からすぐに擦り鉢状に深くなっているので、池に落ちた、もとい恋に落ちた中高年は、見境なく深みに嵌りこむでしょう。

更に水面に浮かぶ水草が足に絡んで、文字通り、藻掻けば藻掻くほど、脱出することが困難になってきます。
云わば年金手帳は、恋の片道切符。くわばら、くわばら。

そういえば、この前、反省会で、疋田の地名の由来について、「疋田絞り」の略とかで、昔(奈良時代?)、大池川から引いた水で藍染をしていたからと、お聞きました。
誰から教わったのか、すっかり忘れましたが。
疋田絞りその2
タケチャンマンさまが更新されているかなぁ?と「開けブログ」してみたら、知らない外国語が…(笑)

疋田(ひった)絞り=鹿の子を隙間無く詰めてくくった総絞り染め。絞り染めは一番古い染色の技法で七世紀には既にあったとか。優れた技と根気のいる手作業の職人さんは日本伝統芸術会の佐吉さまに匹敵しますね。

私の嫁入り道具の総鹿の子の着物はしつけ糸のついたままタンスの肥やしとなっておりまする。トホホ~(T・T)

追伸:「年金手帳って何歳からもらえるの?」と夫に聞いたら「年金を納め始めたらもらえる」「へぇ知らなかった!60歳から交付されるのかなと思っていた」と言うと、あきれて夢子手帳を見せてくれました。

家では「禁治産者ぱーぷりん」と呼ばれていて夫の年収も存じませんの。不満(-_-)
私は一番絞り
>年金手帳は、恋の片道切符。
ナイスですね、演歌の題名にピッタシではありませんか。
八代亜紀さんとニールセダカのデュエットで決まりです~


年金手帳ですか、そう言えば、
あまりしげしげと見つめたことはありませんね。
これからは夢子さまを見るたびに、
反射的に、あ!年金手帳!こうなるんですか。

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