2014/11/07

2014 10 俵口付近の石

2014_1031_俵口石 通行止め

はあ~るば~る来たぜ~「函館」ではなっくって、「暗峠・宝山寺道」に。
皆様方お元気でしょうか?
お手元に一家に一冊 「生駒の古道」
弁当忘れても 「生駒の古道」は忘れるな。
集団的歩行権行使容認には 「生駒の古道」ありますでしょうか。

もし無い方は、
生駒市役所と生駒ふるさとミュージアムで、1000円(税込)で販売。
問い合わせは、生駒市教育委員会生涯学習課、電話0743(74)1111

お急ぎの方なら、生駒市役所 地図
お時間が余ってる方なら、生駒ふるさとミュージアム 地図

ウォーキング娘&歩く・石仏の辻 に参加してお買い求めの方は、
walmusu@infoseek.jp  までメールください。
私の手元に4冊手持ちぶさたに佇んでます、観念はしてるんですが・・・

話しは他でもないんですが、
この夏、だいぶ前のJさんからの報告を受けて
暗峠・宝山寺道の一部を歩いてきたのですが。
「うつぶせ地蔵」こと「峯の薬師跡十三仏」から
髪切峠(暗峠)へと歩いて200m弱でしょうか。
ちょうど鬼取町と西畑町の境界線辺りの日当たりの良い所・・・
そうです
暗峠・宝山寺道」の難所のひとつの箇所に
ヤブが大きく育ってしまったのです。
私は2012年の2月以来すっかりの御無沙汰で、
現場を見て「エッ!!!」
親はなくとも子は育つ如く、ヤブが行く手を。
これも円安のおかげでしょうか、コーヒー豆も上がるし。

そんなわけでただ今、
暗峠・宝山寺道通行止め箇所あり、
御確認くださいませ。



2014_1031_俵口石
生駒デジタルミュージアムから
阿弥陀三尊像  永仁2年(1294)  鎌倉時代   大工伊行氏(いのゆきうじ)  石仏寺

2014_1031_俵口石
生駒市史から

話しはコロリと変わるんですが、
なんとこの阿弥陀三尊像は俵口付近の石だそうです。
それも生駒中学の西手付近の、人呼んで俵口石。

先日、生駒ふるさとミュージアムでの生駒学講座6「十三仏板碑の信仰とその生産地」
橿原考古学研究所特別指導研究員:奥田尚氏
にて、興味深い話しの数々を堪能してまいりました。

十三仏板碑の石材の生産地の話しがメインではありましたが、
その中で、ちょっと前までは石仏ファンには幻の石仏と称されてた阿弥陀三尊像のお話しが。
これが俵口付近の石だとか・・・
十三仏板碑の方は1500年代から1600年代までですが。
なんと、その200年前から俵口の石で、それも名門ブランドの伊派の大工伊行氏作。
今から700年前の俵口村から運んだんですね。

2014_1031_俵口石

右手フェンスの向こう側の石だとか。
伊行氏がこの辺で立って、その石にしようと・・・
時は1294年あたりのお話し。

2014_1031_俵口石

五輪塔 地輪   嘉元二年(1304)     無量寺 
前は竹林寺辺りにあったそうです。 
南面に大工井行氏と。

有里付近の石かはたまた、俵口付近の石なのか。
1300年頃有里あたりに大工伊行氏グループが滞在して、
石造物を次々と生み出していったのか。
今では誰も知る人はいない~

それにしても生駒山周辺の大坂側の十三仏板碑の多くも、
メイド イン俵口付近の石とは驚きましたね。
はあ~るば~る来たぜ~「函館」ではなっくって、「生駒の俵口」から。
生駒山をはあ~るば~る越えて大坂側へと。
1500年代の俵口か谷田あたりに、
そうとうのやり手の石屋があったのでしょうか?
今で言うとユニクロみたいなカンジか、たぶん。

関の観音山の佐吉をぜひ鑑定御願いしたいものです。
以外や以外の結果がでるかもわかりませんしね。


生駒・矢田丘陵 | Comments(2)
Comment
水路の手前ですね。
この場所、崩落で道が流されたのだと思います。
倒木が折り重なって、ヤブになってしまったと。

山手側の急斜面をよじ登ってトラバースすると、
大きな木が目につきます。この木を目標に、
斜面をズルズルと下ると、ヤブの向こう側にでます。

そこから、道が復活し測量の石標もありますが、
ほどなく不明瞭に。

そこで、しかたなく水路を登ってスカイラインへ。
道路の縁を歩いて、鉄塔への急斜面を下ります。

鉄塔からは、以前の記事通りですが、部分的にヤブ。
状況が悪化してないといいんですが。
ありがとうございます
想像以上に荒れてるみたいですね。
私は2009年6月から2012年2月までは、
どうにか歩けたのですが。
その間でもけっこう状態が変わっていたのですが。

冬になったら髪切峠から様子を見に行くつもりでが、
崩落だと廃道にもどってしまいますね。

道は生きものですから、
手入れが入らないと役割を終えることに。


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