2015/05/18

丹波市の佐吉 その1 石狐 【更新】

2015 0512 柏原町
丹波市  柏原町  大新屋

はあ~るば~る来たぜ~「丹波市の佐吉 石狐」に。

上山様、難波様、そして丹波市の関係者に御世話になりました、
大変ありがとうございました。
上山様には佐吉の写真のブログの記載まで許可をくださって、
佐吉ファンとして嬉しいかぎりです、ありがとうございます。


石匠  丹波佐吉
 丹波佐吉は元、日下氏、後、村上照信と称す、佐吉は其の通称である。但馬国竹田の貧家に生れ、幼にして父母を失い孤となる。たまたま本郡大新屋村の石工難波金兵術之を憐み、且つ己れに子なきを以って養子として連れ帰る。

 時に文政三年佐吉僅かに五歳であった、後に金兵衛(二代金兵衛)を生むに及んで、佐吉出で、村上氏を名のり石工を以って業とした、長ずるに及んで、大和伏見大阪の各地で業を習う、天才的の支能益々熟し、長ずるに及んで殆ど天下佐吉に比肩する者なしと称せられた。

 大阪にては専ら南堀江竜平橋の石為に仮寓しで居たが、酒す飲まず妻を迎えず、専心斯業に傾倒したので其の名声益々揚がる、而して尚旧師金兵術の恩を忘れず、己が郷里を問はば必ず、丹波大新屋なりと答えた、依って人皆これを丹波佐吉と称した、佐吉初め丹波に居る頃読書を大新屋上山孝之進に学ぶ、其の関係よりして、上山孝之進は田口金治と共に狛犬を柏原八幡宮に献ずる為之を佐吉に命じて作らしめた。

 其の手法等殆ど他に見ない逸品である、その台石に彫刻せる文字は筑前の女儒者亀井小栞の筆であるが、小栞揮毫の依嘱を受けた時、佐吉の之を彫すべきを聞き、喜んで筆を執ったと伝う、今八幡社前にあるもの即ち是れである。

 本村化山稲荷神社前の石狐一封も同人の名作である、其の他大阪難波五番町石工小西家伝吉の所持せる文珠菩薩像、大新屋上山家所蔵の不動尊像、大阪舎利寺の役行者像等逸品中の逸品として推奨に値する。

 叉佐吉大阪にあった頃、石を以って尺八を作ろうと同業者間に互に競い何れも成功しなかったが、独り佐吉は遂に之を製作し、其の音実に微妙を極めた、依って公卿某の手を経て、孝明天皇に之を献じたところ天皇痛く之を賞せられて、日本一なりとの賞辞を給うた。

 爾来日本一の名世に顕はる。晩年精神に異状を来したので大新屋に帰り静養したが、治せず遂に一日瓢然と家を出でて帰らず、為めに其の終わる所を知らない。
                             新井村誌より
新井の郷 史跡・伝説から


もっと、もっと、みなさんから色んな話しを聞きたかったのですが、
限られた時間でしたのでしかたがないことです・・・

2015 0512 柏原町

鮮やかな朱色に

2015 0512 柏原町


2015 0512 柏原町


2015 0512 柏原町

わたしの記憶間違いがなければ、今からおよそ4年ぐらい前に。 
磯辺ゆうさんの「大和路狛犬探訪」後に、
某所のアサヒレストラン「ローゼンタール」で飲んでる時に!
Sさんが突然に静かに16日の橋下市長さん風に語り始めました、
「私は大新屋上山家所蔵の不動明王像に一票入れたのだよ」と
「まちがい、まちがいです、ペコリン一票入れてどないすんの、」
「不動明王像に石狐に逢ったのですよ!」

な、な、なんと、南都雄二様です。
あの佐吉が彫った伝説の不動明王像に石狐ですかと。
なんとも羨ましい、いや、怨めしいではございませんか、ホンマ。
その日は私にとっては焼けビールとなったのでございます。

そして年月が流れ老眼がすすみ、
ボケも順調に進行してる本日に。

見とれるだけでした・・
夢のようなひとときを佐吉様から戴きました。
思い残すことだらけででございますが。
良い冥土の土産ができたと。

今回の「丹波市の佐吉への旅」の世話役をされたS夫妻に、
感謝感激佐吉霰でございます m(__)m  m(__)m  m(__)m


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