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2018/04/13

2018 04 野間の石造物 妙見山


2018 04 野間 妙見山
はあ~るば~る来たぜ~「函館」ではなっくって、「妙見山と野間の石造物」に。
先日、ひさしゅうにYNKに参加して、はじめての
妙見山へ。
あこがれの狛犬と御対面!
昼からは、
はじめての野間の石造物漫遊でございます。
豪華二本立ての歩き堪能いたしました。

本日のコース
能勢電鉄ときわ台駅
妙見山―本瀧寺野間中 共同墓地興徳寺成就院大ケヤキ妙見口駅

2018 04 野間 妙見山 妙見山    ちょうど満開でした。

2018 04 野間 妙見山 妙見山   
ついに御対面です、アカフンが邪魔だ!
失礼いたしました、アカフンではなくアカよだれ掛けでした。
つい興奮してしまいました!
興奮したとしても以前、使い物にならないままなんですが・・・

2018 04 野間 妙見山
手まりが中破してたけど、オイ、オイですよ。

2018 04 野間 妙見山 妙見山
生駒山とほぼ同じ高さなんですね。

2018 04 野間 妙見山 野間中 共同墓地  
十三仏板碑  
永禄十一年 (1568)
阿弥陀 
永禄十一年 (1568)
お初の
野間地区にいよいよ入ってまいりました。

2018 04 野間 妙見山
阿弥陀三尊
このブロックは古手さんだけですが、自然のまま。

2018 04 野間 妙見山 野間中  興徳寺

2018 04 野間 妙見山 興徳寺 
三尊石仏(地蔵・不動・毘沙門天)天文二十四年 (1555)  
飛んでますね、この石仏、ナイス。
トリオ ザ パンチを連想してしまいました!
「おら、ハードボイルドだど!」

阿弥陀三尊 永禄十一年 (
1568)   
五輪塔板碑 永禄十一年 (
1568)

2018 04 野間 妙見山
宝篋印塔  永仁四年 (1296)
「西大寺系の石工の制作になることは明かであろう」 能勢町史
大蔵派の方なのか。
「川西市多田院は、弘安四年(1281)の本堂落慶供養導師を、西大寺の叡尊がつとめる」
なるへそ。

2018 04 野間 妙見山 野間中 
阿弥陀 六地蔵磨崖仏  永禄七年(1564)
六地蔵+阿弥陀にてパワーアップしてイッキに極楽浄土へ突入でしょうか。
私はどうもがいても地獄行き決定ですが。
皆様方もそうですよね、たぶん。
地獄でまたお逢いしましょう。

2018 04 野間 妙見山 野間中 成就院    
十三仏板碑   永禄九年(1566)
生駒山周辺並みの
十三仏密集度でございます。

2018 04 野間 妙見山
成就院
ええやんか、このお顔。
私も極楽浄土へ行きたい!
今からでも遅くないと、誰か言ってくれ!ダメか。

2018 04 野間 妙見山 野間中 
地蔵一尊種子板碑  暦応四年(1341)

2018 04 野間 妙見山 野間中 
地蔵石仏  暦応四年 (1341)
「石灯籠の作者井野行恒かその直系の石大工の遺品と考えられよう」
西大寺の叡尊関係者とこの地に。
大蔵派とは伊の別ブランドなんでしょうか?
税金対策なんでしょうか、たぶん。

2018 04 野間 妙見山 大ケヤキ

2018 04 野間 妙見山 妙見口駅
木造でいいですね、ほとんどが歩き人でした。
また、この地の石仏漫遊に来る予定でございます~
とても交通が不便ですが。
歩きには最高ですね、ホント。


大阪 | Comments(0)
2018/03/24

2018 03 三石山から岩湧寺そして流谷の十三仏を拝んで天見駅まで

2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅
杉村公園    丸尾橋

はあ~るば~る来たぜ~「函館」ではなっくって、「三石山」に。
ポン友と
三石山へと歩いてまいりました。

本日のコース
 南海御幸辻駅
三石山ダイヤモンドトレール岩湧寺流谷天見駅

2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅

緩やかな登りを

2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅

三石山


2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅

紀見峠へは飽きたから、天見へと歩こうぜということに。

2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅

展望台デッキ    右手には生駒山が
いつもは、あちらから、あの辺が岩湧山かな~と見てますが。

2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅

岩湧寺    私はお初の    天台から融通念仏だそうです

2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅

それなりの時間が、ここから峠道なのです

2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅

ようやく流谷へと

2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅

念願かなっての十三仏    今日のメインディッシュでございます

2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅

デス イズ 日本の里山

2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅

勧請縄    八幡神社
 
2018 0323 南海御幸辻駅 三石山 岩湧寺 流谷 天見駅

ぽん友が釜風呂だと言ってましたが、ホンマか?
鹿児島のはもっと小さかったと・・・

大阪 | Comments(2)
2018/03/18

追補版! 訂正でございます、八代龍王 +写真

八代龍王 
ココでのお話は明治41年測量、明治45年製版の二万分の一地形図からをネタにしてます。

新しい情報が入ってまいりましたから、ここに記します。

鬼取の方の話しから。
鬼取には
「八龍王」しか存在しなかった。
山上でも 旧鶴林寺跡にも、
「八龍王」しか存在しなかった。
当然のごとく旧鶴林寺跡には
「八龍王」は存在していない。
あくまでもたとえですが、鬼取ブランドは
「八龍王」
山上の
「八龍王」は別ブランドと表現したらわかりやすいでしょうか。

聖地再訪 生駒の神々から。
八代龍王神感寺
八代龍王神感寺は、岩佐亮教氏を初代総主とする生駒屈指の大規模な修験寺院である。
亮教氏の生涯をまとめた岩佐亮演編「ひとすじの道」(1985年)によると、
亮教氏は若い時に様々な職業を経験し、また労働争議ににも加わり非常な苦労を重ねた末に、病を得た。
その病は1925年、友人に連れられて当時生駒山上にあった八代龍王総社に参り、神徳を受けて癒えたという。
その後、八代龍王を当時守っていた西堀妙真氏に従って苦行を重ね、ついに八代龍王の霊験を獲得するに至る。
そして1936年、神示によって生駒山上から現在の地に移った。

新たに情報が入りましたら、また記します(2018  03 18)


はあ~るば~る来たぜ~「函館」ではなっくって、「ペコリン、ペコリン、ペコリン」に。
訂正でございます~
じつは小泉今日子さんとは恋愛関係がございます、たぶん。
訂正でございます~
前回の八大龍王道は間違いだったようです。
元々、鬼取の「八龍王」は山上の奈良側の二社の「八龍王」が並んでるあたりに村の共有地としてありましたが。
売却して鬼取山 旧鶴林寺跡にに移されたそうです(ふるさと生駒)
大正14年に鬼取の鶴林寺にくだられた(南生駒てくてく)

ここでは新たに「八龍王」と「八龍王」の謎が出現す!売却とは?
2018  0318  追補:
「八龍王」と「八龍王」の謎は溶けました。
売却とは?文字どうりの売却だそうです、ハイ。

そんなわけで、本日は「八大龍王・道標  五丁 大正十年」はどこにあったのか?
これをホントに勝手に夢想してみました。
現在の八大龍王からアプリのカシミール3Dで距離を測定(直線ですが)
だいたいですが五丁で円を描くと経塚あたりに引っかかりました。
道標を見てもらうとわかりますが、左手に八大龍王ありますと。
これから宝山寺からの人々を道案内。
そこでベージュ色で道を描いてみました。
まるで、どこかの国の憲法改正を企む悪代官のごときの仕業でございますが。
見逃してくれよ!  by  アペ夫妻&あっそう

ケーブル梅屋敷駅の階段下の三叉路にある「左  くらかり峠」道標は、
三十三丁付近にあったのは99%まちがいないと思います。

鬼取山 旧鶴林寺跡にある道標  東  小平尾  宝憧寺  廿五丁(2.7㎞)
これもカシミール3Dで距離を測定したら2.3㎞となってました。
90%ここかな、他に適当な地が思い浮かばない。

円超上人は、薬師如来を信仰し、主として鶴林寺(元の)で修行を積まれた。
界隈の住民達は行基の再来として敬慕した(ふるさと生駒)

永禄三年(1560)松永久秀が信貴山城を築きに当たり、本堂はその兵火に焼け落ちたが、
薬師如来像と行者像はその難を免れたので、これを麓の村寺に移した。
江戸時代に入り小平尾の大念仏宗宝憧寺円超上人が安政六年(1859)九月、
村寺に移された本尊薬師如来と同形の石仏を造らせて焼失した本堂跡に安置した。
行者堂は明治時代に信者と村民が協力して再建し、行者像を元の場所に迎えたのである。
(ふるさと生駒)

参考にしました、
生駒市誌
ふるさと生駒
南生駒てくてく
生駒の民俗
生駒の神々
聖地再訪  生駒の神々


鬼取山 旧鶴林寺跡はいまだ謎、謎、謎だらけのようです。
鎌倉、室町時代には鬼取山といえば、この寺という存在があっのか?。
鬼取山=伊狗寺  生馬寺  鬼取寺
織田信長と松永久秀がすべて燃やしてしまったのでしょうか!?


2018_0212_0001生駒市史 資料編1 昭和46年 11月1日発行    から

撮影年代不明ですが。
こんな感じだったんですね。

生駒・矢田丘陵 | Comments(28)
2018/02/26

2018 02 六地蔵から上醍醐 山科まで

2018 02 日野岳 上醍醐 山科

はあ~るば~る来たぜ~「函館」ではなっくって、「上醍醐」に。
ようやく、念願かなっての
、上醍醐に。
本日は始めてYN会に参加してきました。
道筋は矢印シール貼っての放牧状態スタイルがうれしいですね。
しかしながら、おケツより遅れるとアウトになりますけど。
先頭の人は東京マラソンに出たら一億円もらえるのでは、たぶん。

本日のコース
京阪六地蔵駅―鴨長明―方丈石―地蔵堂―供水峠―日野岳―パノラマ岩
―ユウレイ峠―上醍醐―横峰峠―高塚山―桜の馬場―白石神社
―四ノ宮地蔵堂―JR山科駅

2018 02 日野岳 上醍醐 山科ここが地蔵堂なんでしょうか。

2018 02 日野岳 上醍醐 山科

2018 02 日野岳 上醍醐 山科左手が生駒  中央が大阪  真ん中左手のトンガリがハルカスたぶん

いつものような一人だと、ここで珈琲でも飲んでのんびりするんですが。
本日は物理的に無理。
これが残念ですが。
またポン友と来ますかね(酒飲む前の運動だそうです)

2018 02 日野岳 上醍醐 山科 ナイスなユウレイ峠。

2018 02 日野岳 上醍醐 山科
なにやら臭うなと思って、道草したら。
色んなバリエーションの一石五輪が、
そして看板娘でしょうか。

2018 02 日野岳 上醍醐 山科 ここでマッタリと写真撮って戻ったら、
前の方がシール剥がしてました、危ない、危ない。

2018 02 日野岳 上醍醐 山科
町石
上醍醐到着です

2018 02 日野岳 上醍醐 山科五大堂

2018 02 日野岳 上醍醐 山科横峰峠

2018 02 日野岳 上醍醐 山科愛宕山の頭が、ポンポン山は見えてるのでしょうか

2018 02 日野岳 上醍醐 山科高塚山に寄り道しての  白く輝くはなんの山  前に歩いた山なのか

2018 02 日野岳 上醍醐 山科このアンチークな佇まい

2018 02 日野岳 上醍醐 山科
ココで山道終了
牛尾観音を目指したのですが、途中でヤメタ!

2018 02 日野岳 上醍醐 山科白石神社で珈琲タイム

2018 02 日野岳 上醍醐 山科
あごの外れた狛犬さん

これからも、なるべく
YN会に参加して山登り修行をと誓うのであります!

京都 | Comments(0)
2018/02/21

書籍「生駒谷の七森信仰」を再版します

生駒民俗会からのお知らせ

生駒谷の民間信仰を通じて生駒の歴史と民俗文化を学べる
生駒谷の七森信仰」が生駒民俗会から再販されました。

価格  1500円
販売場所・問い合わせ  生涯学習課(内線643)か
生駒ふるさとミュージアム(☎0743-71-7751)


生駒・矢田丘陵 | Comments(6)
2018/02/17

2018 01 小天狗山557

2018 01 小天狗山557エデンの園

はあ~るば~る来たぜ~「函館」ではなっくって、「小天狗山」に。
Fさんの紹介でKS会にお邪魔さしてもらいました。

本日のコース
逆瀬川駅―バス停 エデンの園―小笠峠―盤滝――小天狗山557―奥池
―芦屋ゲート―弁天岩―なまず岩―芦屋川駅

2018 01 小天狗山557 いろいろな風情の楽しめるコース。
ペースも良い感じ、のんびり写真撮ってると遅れますが。

2018 01 小天狗山557

2018 01 小天狗山557 盤滝

2018 01 小天狗山557

2018 01 小天狗山557

ここで昼食、気温が0度ぐらいだそうです。
時折雪まじりの風が吹き抜けると、OH!モーレツ

2018 01 小天狗山557 昨日は生駒山から、今日は小天狗山から。

2018 01 小天狗山557
小天狗山557
急な登りがナイスです。
本日、都合でまた戻って・・・だそうです。

2018 01 小天狗山557
ココ分岐。

2018 01 小天狗山557 戻ったおかげで、この光景を。

2018 01 小天狗山557 奥池
予定ではココまでしたが。
お兄いさんが芦屋川まで歩く人はいませんか~で。
まだ時間も早いし、ハイ、
ハイ、ハイで芦屋川まで。

2018 01 小天狗山557 思ったより凸版コース!
生駒山より低いから~と思ったのが間違い。

2018 01 小天狗山557弁天岩  磐座
おかげさまでアレコレ見学できて最高ですな。

2018 01 小天狗山557なまず岩
上からゴロゴロって、どんだけ~です。
古代の文字も書かれてるそうです。

2018 01 小天狗山557
本日の歩きも終わりに近づいて来ました~
私も何回も来てる分岐に接続してました。
KS会のみなさん、ありがとうございました!

六甲山系 登山詳細図も買ったことですし。
これからはコツコツとのんびりとダラダラと
六甲を歩いてみます~


兵庫 | Comments(0)
2018/01/13

2018 01 宝山寺暗峠道 エピソード8 最後の五辻

2018 0107 宝山寺暗峠道 五辻から探索222  
はあ~るば~る来たぜ~「函館」ではなっくって、「宝山寺 暗峠道」に。
先週にひき続いてまたやってまいりました。
今回のお題目はえび茶色の「宝山寺 暗峠道」
地図の色分けの赤部分を歩きました。

荒れた石段を下れば崩壊中の昔の水施設なんでしょうか。
まだ生駒市に水道が完備される前の?
石段はこの
水施設の為に創られたのか?
これより下るには左手にある排水溝をたどれのようです。
2010/12月にはここをよじ登って来たのか!

そこで八大龍王道を辿ってケーブル(生駒鋼索線)に出て横を下り  (^^)/~
辻子谷越道と
宝山寺 暗峠道の分岐(三十三丁)から2010/12月をアタック!
ありました、ありました、まだ7年前の道が(道なのか?)
そして、すぐに、お~っと何かのケーブル線がのたうって道と合流!
まるで「女学生の友」のごときに御一緒に道を辿る!
正しく
「女学生の友」ですね、2010/12月にもあったのか?
まったく、いいかげんな記憶です、たんなる人間性なのか!?

そして石段の道に・・・
この辺は石段では無く排水谷風でしょうか。
ここよじ登れば
崩壊中の昔の水施設でしょう?
前回のシマウマで、失礼、トラウマで止めました。
古道の地図の下部分を歩いたということになりました(誤差範囲なのか)
そして古道は
水施設を横切って八大龍王道との分岐に接続。
シャーロックホームズ風にあてずっぽしてみました(古道地図どうり)

古道の歴史を勝手に想像するのなら。
宝山寺 暗峠道の前に大聖無動寺 鶴林寺 暗峠道があったと。
1678年頃から
宝山寺 暗峠道へと。
大正時代になってバイパス道として
八大龍王道が完備(以前から踏み跡はアリ)
宝山寺 暗峠道より八大龍王道の方が歩きやすいので、じょじょにメイン道へと。

昭和4年に生駒山上遊園地に合わせて宝山寺~生駒山上間にケーブル(生駒鋼索線)が開通。
旧鶴林寺から暗峠間がスカイライン開通で歩行が困難になったように。
ケーブル(生駒鋼索線)開通で、三十三丁から八大龍王道との分岐まで廃道状態に。
なおかつ水施設のために谷が削られ、掘られ(石垣が物語る)宝山寺 暗峠道の痕跡ががぶつ切りされる。
こうして、歩く人は
八大龍王道へと移っていたのでは。

そして年月がたち宝山寺 暗峠道は里道そして山仕事の道へと。
暗峠の長老が昭和30年代まで歩けたな~
生駒スカイラインでズタズタになったと。
東京オリンピック以前には、もう地元の人以外に。
暗峠から八大龍王に宝山寺に参ろう人は皆無。
今の私達のような色モノの歩きマニアぐらしかいなかったのではないかと!

そんなわけで好き勝手に台本を書いてみましたが。
NHKの大河ドラマで使ってもらえないものか!?
この場合、主人公は西郷隆盛ではなく暗峠から
鶴林寺から大聖無動寺・宝山寺への道。
オープニングは生駒山上から大峯を仰ぎ見る山伏の勇姿。
画面は般若窟で修行をする役小角へと~

ともかく、万が一、オモロイ!と思った方は歩いてみて下さい。
遭難の心配はまず無いでしょうが、たぶん。
ラ・イ・ブという奴ですね、ハイ。
レコードで聴くのも良いが、生で聴きたい(年齢が偲ばせる表現ですな)

2018 0107 宝山寺暗峠道 五辻から探索222水施設関係の家屋崩壊

これを見るだけでも価値ありです。
このあたりを
「宝山寺 暗峠道」通ってたようです。
当時は石垣あたりから緩やかな斜面があったと推測。

便器だけが佇んでいました、TOTOかな?
ブランドだけあって耐久性良し!
バンドの方はまだやってんのか?


生駒・矢田丘陵 | Comments(0)
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